こんにちは。守口市会議員団です。
[2013.5.20] -[インフォメーション]
第90帝国議会
昭和21年06月20日衆議院本会議
帝国憲法改正における勅書
○議長(樋貝詮三君) 只今帝國憲法改正案が提出せられました、之には勅書がございます、之を朗讀致します、諸君の御起立を望みます。
〔總員起立〕
朕は、國民の至高の總意に基いて、基本的人權を尊重し、國民の自由の福祉を永久に確保し、民主主義的傾向の強化に對する一切の障害を除去し、進んで戰爭を抛棄して、世界永遠の平和を希求し、これにより國家再建の礎を固めるために、國民の自由に表明した意思による憲法の全面的改正を意圖し、ここに帝國憲法第七十三條によつて、帝國憲法の改正案を帝國議會の議に付する。
御名御璽
(参考)大日本帝国憲法
第73条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス
枢密院会議筆記・一、憲法草案・明治二十一年自六月十八日至七月十三日
枢密院において「第ニ章 臣民権利義務」を審議する冒頭、森有礼文部大臣が発言し、天皇に対して臣民は権利を持たないと主張し章名を「臣民の分際」に改めることを求めた。これに対し伊藤博文は、君権を制限し臣民の権利を保護することが憲法創設の精神であり、臣民の権利は憲法に欠かせないことを説いた。
抑憲法ヲ創設スルノ精神ハ、第一君權ヲ制限シ、第二臣民ノ權利ヲ保護スルニアリ。故ニ若シ憲法ニ於テ臣民ノ權理ヲ列記セス、只責任ノミヲ記載セハ、憲法ヲ設クルノ必要ナシ。又如何ナル國ト雖モ、臣民ノ權理ヲ保護セス、又君主權ヲ制限セサルトキニハ、臣民ニハ無限ノ責任アリ、君主ニハ無限ノ權力アリ。是レ之ヲ稱シテ君主專制國ト云フ。故ニ君主權ヲ制限シ、又臣民ハ如何ナル義務ヲ有シ、如何ナル權理ヲ有ス、ト憲法ニ列記シテ、始テ憲法ノ骨子備ハルモノナリ。
[2013.5.20] -[新守口]
「安倍晋三首相は、『憲法改正は自民党立党以来の課題で、昨年の衆院選でも公約としてまずは96条と掲げていた。当然、今度の参院選においても変わりはない』と述べ、7月の参院選で憲法96条の改正を公約に据える考えを表明した」と報道されています。
日本国憲法96条は憲法の改正要件として、①国会が衆参両院のすべての議員の3分の2以上の賛成を得て発議する。②国民投票での過半数の賛成で承認する。と定めています。
このように通常の法律より改正が難しくなっている憲法のことを硬性憲法といいます。ほとんどの国の憲法が硬性憲法であり、世界的にはこれが標準となっています。
96条の改定は憲法を憲法でなくすことに
しかし、自民党の衆院選政権公約は日本国憲法96条の発議要件を3分の2以上の賛成から、過半数に緩和するとしていました。そして、安倍首相は今年1月30日の衆院本会議で、日本維新の会の平沼赳夫国会議員団代表への答弁で、憲法改正に関し「党派ごとに異なる 意見があるため、まずは多くの党派が主張している96条の改正に取り組む」と、明言し憲法改正の発議要件を定めた憲法96条を緩和する方向で「改正」する考えを表明していました。
本来、権力者を制限する、権力者を不自由にするのが憲法ですから、こんなことが許されたら憲法は要らないということになります。 国民主権が一言も書かれていない大日本帝国憲法の審議でさえも伊藤博文は、「臣民の権利を列記せず、只責任のみを記載すれば、憲法を設ける必要なし」と、君権を制限し臣民の権利を保護するのが憲法であると述べているのです。
内閣を組閣するには少なくとも衆議院で過半数の与党が存在していますから、憲法改正要件を3分の2の賛成から過半数に緩和すれば権力を持つものが、その都合で自由に憲法を変えてしまうことができるようになります。それでは本当に権力者を制限することにはなりません。憲法が憲法の役割を果たさなくなってしまうのです。
「国民の自由な意思で」創られた憲法と、昭和天皇
また、現在の日本国憲法は「アメリカの押し付け憲法だ。日本人の手によって憲法をつくらなければならない」と言う国会議員もいます。
日本国憲法は、アジア・太平洋戦争以後新しく創られたのではなく、大日本帝国憲法の改正案として、第90回帝国議会に付議されました。
大日本帝国憲法では改正案は国民にも議会にも発議権がないため、第73条にしたがって勅書(明治憲法下の公式令で、皇室および国家の事務に関する天皇の意思表示で特定人または特定機関に発せられた文書)が出され、その中で昭和天皇は「国民の自由に表明した意思による憲法の全面的改正を意圖し、ここに帝國憲法第73條によつて帝國憲法の改正案を帝國議會の議に付する。」と改正案、つまり日本国憲法が国民の自由な意思によるものであることを明確に述べています。
アメリカ(GHQ)の押し付け憲法だとの主張は昭和天皇の勅書を否定することになってしまうのです。
憲法9条は正義の大道を進む固き決意の表れ
「國務大臣(吉田茂君)…改正案は特に一章を設け、戰爭抛棄を規定致して居ります、即ち國の主權の發動たる戰爭と武力に依る威嚇又は武力の行使は、他國との間の紛爭解決の手段としては永久に之を抛棄するものとし、進んで陸海空軍其の他の戰力の保持及び國の交戰權をも之を認めざることに致して居るのであります、是は改正案に於ける大なる眼目をなすものであります、斯かる思ひ切つた條項は、凡そ從來の各國憲法中稀に類例を見るものでございます、斯くして日本國は永久の平和を念願して、其の將來の安全と生存を擧げて平和を愛する世界諸國民の公正と信義に委ねんとするものであります、此の高き理想を以て、平和愛好國の先頭に立ち、正義の大道を踏み進んで行かうと云ふ固き決意を此の國の根本法に明示せんとするものであります。(昭和21年06月25日衆議院本会議)」
当時の内閣総理大臣吉田茂氏は、日本国憲法の提案理由の説明で戦争放棄をうたった第9条について、その高尚な理念を説明していました。
アジア・太平洋戦争の痛苦の反省の上に立ち、日本は二度と国の主権の発動たる戦争は起こさないと固く誓ったのが日本国憲法第9条なのです。そして、それは正義の大道であり、世界に先駆けて、平和の道を進む固い決意を表したものに他なりません。
[2013.5.6] -[議会報告]
偽りの財政危機で市民に我慢と犠牲を押し付けるのは許せない
わたしは、議案第18号平成25年度守口市一般会計予算案に反対の討論を行います。
反対の主な理由はまず国旗・日の丸の常時掲揚のための予算があることです。代表質問でも触れましたが、国民の間に意見が大きく分かれている問題を地方自治体の行政に持ち込むことはやめるべきです。
一体、国旗常時掲揚することについてどれほど真剣な検討が加えられたのか疑問であります。
国旗の取り扱いについて、維新後の明治政府は太政官布告で日の丸を国旗と定めて以降、その掲揚については許可制を取っていました。
太政類典に因れば、例えば明治5年11月28日に、「改暦のお祝いのために、来る1月1日、家の軒先に国旗を掲揚させても差支えないか」、という東京府からの伺いに対し太政官から許可が出ています。
また、明治8年4月24日には、今度は三重県からの、「明治6年10月の第344号公布の祝日に限り、軒先への国旗掲揚を各家々の判断に任せても差し支えないか」、という伺いに対し、太政官から「諸際祝日に国旗を掲揚するは人民の願望に任す」と許可が出ています。このように国旗は「濫りに掲揚するもの」ではなかったのです。
それが大きく転換したのは、昭和にはいって、第一次近衛内閣が1937年(昭和12年)年9月から行った、「日中戦争開始とともに進めた、国民の自発的な戦争への協力を促進するための」運動、「国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神(滅私奉公)を推進した」運動、いわゆる国民精神総動員運動によってであります。「祝祭日には必ず国旗を掲げましょう」と、昭和13年2月11日の紀元節から全国で国旗掲揚運動を展開しました。だから国旗・日の丸についてことさら取り上げるのは、軍国主義への復活、いつか来た道への逆戻りだと言う反対の声があるのです。
このような歴史的経過が「国旗」常時掲揚に当たって検討されたのでしょうか。国民精神総動員運動の「国旗の掲揚」はそれでも祝祭日に限定されていました。それも、日の出から日没までと言うのがルールであり、市役所の開庁時間の目印にするかのような、ぞんざいな使われ方をしたのでは国旗を大切にし、敬意を払うべきだとの考えをお持ちの方にも反感を買うものであると言わざるを得ません。
このような、国旗・日の丸を掲揚するための予算は断じて認められません。今年度に高齢者のささやかな楽しみであった老人センターの入浴サービスを奪っておきながら、意見の分かれる国旗・日の丸掲揚に予算をつけるのは税金の使い道を誤っているし、施策の順番が間違っているとしか言いようがありません。
詳細に検討されずに予算化されたと考えられるものは、このほかに総合窓口、情報コーナーがあります。総合窓口はなぜ今なのか。総合窓口を市民生活部が所管すると言う事務分掌上は問題なくとも、現実の予算を見ると、ワンストップサービスとはとてもいえません。
いくつかの事務の拡大はありますが、ほとんどが案内で、手続き完了できるのはいくつもありません。余にも拙速過ぎるのではないかと考えます。情報コーナーの設置もいかにも稚拙で、それも2階の狭いスペースでは論外であると言わなければなりません。「スピード感を持って」と言うのが空々しく、何か市長の実績づくりのために急ごしらえしたとの感が否めないのであります。
実績作りといえば民間委託もそうであります。保育所調理員の民間委託は予算が凍結されましたが、公園管理の民間委託や家庭一般ごみ収集事業の一部民間委託はなぜ民間委託化という基本理念さえも明らかにされないままです。
具体的な市民サービス向上も示されず、財政効果にいたっては将来の人件費で効果が期待できるというのが精一杯で、それなら今すぐの民間委託ではなく財政効果が現れるようになってからと言う常識さえも通じません。
財政全般では、依然として財政が厳しい、議会からの提言で繰り替え運用している基金22億円を返済するまでは赤字あると認識しているとか、経常収支が100近いとか言いながら、国民健康保険会計への法定外繰り出しである赤字補填をこれまでの2億円から倍の4億円に増額支出、改革ビジョンで示していた財産売り払い17億円を4億4千万円に縮減、ビジョンにはなかった教育施設整備基金に1億6千万円積立、そして、民間委託を急ぐあまり、人件費と委託料のダブルコスト1億数千万円の支出など、およそ財政危機とは程遠い予算となっています。
さらに、都市計画税や事業所税、特別交付税など臨時的経費に当てる収入は22億円を超えていますが、今年度の臨時的経費は約15億円、国支出金や記載も含めての金額でありますから、臨時的経費に当てる収入がはるかに多いにもかかわらず、それに見合う事業もありません。投資的事業もせずに経常収支比率云々は通らない話です。
ついでに言えば、議会からの提言で繰り替え運用している基金の残額は、生涯学習援助基金1億5千万円、地域福祉推進基金4億5千万円の合計6億円であり、繰り替え運用を財政危機の理由にするのであれば優先的に繰り戻しするのが当然であります。
いつまでも偽りの財政危機を理由にして市民に犠牲と我慢を押付けるのは、やめなければなりません。
地方自治体の本旨に基づく守口市を築くことこそが今求められていることを申し上げて反対討論とします。
[2013.5.6] -[新守口]
児童クラブは両親共働きののために授業が終わってから保育を受ける小学1年生から3年生までの施設です。
障害児にとって4年生になれば家庭に帰らなくてはいけません。障害児童を一人で家庭に置いておくことは不安であり、そのために4年生から6年生まで預かってほしいと以前から要望がありました。
国のガイドラインが概ね10歳までの児童となっているために3年生までとなっていましたが平成24年8月に成立した子ども子育て新3法では年齢制限が無くなり、すべての小学校の児童が対象になりました。それに伴って守口市でも4年生以上預かってほしいと保護者の皆さんは、昨年市長に要望が出され、教育委員会に陳情や党議員団にも相談に来られました。
守口市議会でも決算委員会の委員長報告でも取り上げられ「人員の確保、施設面の課題もあろうが、障害児童への配慮の観点から、入会児童室における4年生以上の障害児童の受け入れについて今後検討されたいこと」と希望意見が述べられています。
教育委員会でも話し合われましたが出された新年度予算では、試行的に夏休みだけ開設するというものでした。
教育委員会はこれでも一歩前進だと言いますが、保護者はどうしたらいいのか4月から仕事を止めなくてはいけないと途方に暮れています。保護者の要望としては健常児との接点がある児童クラブで生活させる方が子どもの成長があるので児童クラブの開設をと願っています。
最後の手段と障害福祉で日中一時支援や移動支援などが行なわれており相談に行かれていますが事業所が足りないために思い通りの時間が確保できていません。学校から施設までの移動支援を行なっているところが少ないからです。預かってもらう施設も一杯でどこでも入所できない状態です。
保護者の憤りは大変なもので、「教育委員会は開設しないと言えば済むがその受け皿はないことを知っているのか。」「障害福祉との横のつながりが全くない」と厳しい批判の声が上がっています。
保護者は3年まで入所していたのだから引き続き保育は可能ではないかと試行的な実施では大変疑問があると訴えています。
[2013.5.6] -[インフォメーション]
守口市の財政は危機的状況にあるとして、西端市長は、「もりぐち改革ビジョン」(案)を作成しその実行を急がせています。
財政危機を理由に市民に負担を押し付け
市民会館の廃止、市民課窓口業務の民間委託、梶ふれあいの家の廃止、寺方・南保育所の統廃合、社会教育施設である公民館の統合とコミセンへの転換、国保徴収員制度の廃止、ごみ収集業務の民間委託等々…。
守口市の財政は本当に危機的状況にあるのかどうか客観的で科学的な検証が必要です。デフレ不況と、景気の低迷と、国や府の税源保障のない分権の名による事務の地方押し付け、国や府の補助金の削減一般財源化などで一般的には市町村など基礎的地方自治体の財政は厳しいものがあります。
しかし、漠然と「財政が厳しいから市民サービスの削減や市民負担の強化は当たり前」と、言うのは間違いです。とりわけ守口市は平成19年度に、実質赤字比率も連結実質赤字比率も「健全化指定」水準に落ち込み「夕張の次は守口」との新聞報道が行われたため、市民の間には「具体的なことはわからないが財政が厳しい」との認識が続いています。
守口市の財政の実態は他市並みの水準
日本共産党議員団は、平成19年度からの財政危機の主要な原因は団塊の世代の職員の退職金の支出増にあることを明らかにしながら団塊の世代の退職後は財政は緩やかであるが財政危機は回復することを指摘してきました。
平成20年から3年間は西口前市長と議会が協議して財政規律を守りながら最小限の退職債を発行することで財政の危機的状況を回避してきたのです。その結果、平成23年度は退職債を発行しなくても3億7千万円の決算剰余金を生み出したのです。
平成19年、20年は累積赤字がそれぞれ39億6千万円、8億6千万円ありました。平成19年度は14億5千万円の単年度赤字、20年度は31億円の単年度黒字でした。
平成21年度になると累積赤字をなくし、15億円の剰余金を生み出し、そこから2億2千万円を減債基金という基金に貯金しました。平成22年は2億1千5百万円の単年度赤字となっていますがその実態は、17億2千万円の剰余金を生み出しそこから、国保会計に12億1千5百万円を繰り出し、人材育成基金と言う特定目的基金に6億7百万円を貯金しました。その上財政調整基金と言う「普通預金」に1億1千万円貯金したのです。平成23年も2億円を貯金しました。
さらには、平成21年度からはこれまで絶対にやらなかった国保会計への法定外繰出しを毎年2億円行い、平成24年度からは倍額の4億円行います。
守口市は国保会計への法定外繰出しを「税の公平性が損なわれる」として行っていませんでしたが、連結決算の制度や国保の大阪府内一元化をにらんで国保会計の赤字を解消するための必要に迫られたため行ったものであり、市民負担軽減とはまったく無縁のやり方です。
市民の善意につけんこんだ行政リストラは許せない
とはいえ、一般会計から国保への多額の繰出し、基金への繰り戻し、「普通預金」など、財政が危機的状況であればできるはずもありません。必要に迫られても「ない袖は振れない」のです。
ところが、平成20年以降これだけ多額なお金を「決算剰余金」として生み出しています。この状況のどこが危機的な財政というのでしょうか。地方自治体という公共団体の使命は貯金を増やすことではなく、市民の大切税金を市民サービスとして市民に還元しする行政を進めることです。「財政が厳しいなら仕方がない」と言う市民の善意につけ込んで市民サービスを削り、市民負担を強化するのは許せません。